2015年7月24日金曜日

あなたもビッチ 『(500)日のサマー』

『(500)日のサマー』(2009年/マーク・ウェブ監督)
【あらすじ】
サマーちゃんと付き合っていた500日を回想します。

時間軸は混乱し、トム(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)の記憶の中だけで語られるこの物語に、まず違和感を覚えたのは、「僕は君のなんなのさ!」という台詞が登場した時でした。
これってさあ、女性の台詞ダヨネ?
いや、男性が絶対に言わないと述べたいワケではなくて。
ただ、少なくとも私は言ったことも思ったこともありませんし、その台詞をはじめて聞いたのは女性からでしたので(笑)
「アタシとアンタの関係ってさあ、一体なんじゃらほい?」
その言葉を初めて聞いたとき、うお! これは面倒くさい! と思ったのは今でも忘れられません。
彼女のことをそういう目で見たことは一度もなかったから。
遊び友だち
飲み友だち
単なる友だち
そんな私は、やはりビッチなのでしょうか?

さて、極論を提言。
もしかするとトムは、女性なのではないのでしょうか?
トムとサマー(ズーイー・デシャネル)はシド&ナンシーについてこんなやり取りをします。
「今のわたしたちってなんかシド&ナンシーみたい」
「シドは何度もナンシーを刺したけど、俺はそんなことしないよ」
「なに言ってんの? シドはわたしよ

そう考えると、この映画がボンクラ野郎だけではなく、意外と女子受けしていることも理解出来ませんか。
彼女たちの感想を聞けば分かるのですけれど、女子もトムの視点で物語を観ていることが圧倒的に多いのです。
そして、サマーをビッチと言っているんですよね。

劇中、ヘコんだトムに映画は見えず、妄想がスクリーンに映し出されます。
ベルイマン風のその妄想映画の中で、トムは天使とチェスを指しています。
これでどうだ!
得意そうなトムを、天使はせせら笑う。
「次は勝てるといいね、ビッチ!
ビッチとは、普通は女です。

本作はオトコの気持ちを描いただけの物語ではないでしょう。
マーク・ウェブは確信犯的に、トムをヒ弱なナードとして描いています。
Hした翌朝、男は晴れがましい気分になるのだ!(突然ミュージカルになって歌い踊り、終いには幸せの青い鳥がアニメーションで飛んで来る・笑)、と描かれますが、それはそういうイメージで女子がならないとは限りません。
男女ともがトムにもサマーにもなる可能性を秘めているのであり、だからこそ、本作は傑作なのだと思う次第です。

500日後、トムの前に現れたサマーは、なんとトムになっていた!
わたし、運命的な出会いをしたの!
逆に言えば、明日のあなたがビッチじゃないとは言い切れないのです。

ところで、ふたりを結びつけたアイテムに音楽があります。
「私もザ・スミス好きよ」この一言から、ふたりの500日は始まります。
そして、ビートルズに対する意見の食い違いから、ふたりはすれ違い始めるのです。
つまり、ふたりが恋しているときは、いつも音楽が流れています。
恋に夢中の時も、恋が終焉を迎えた時も、人は必ず音楽を聴いているんですね。
『(500)日のサマー』は、ポピュラーミュージックが総ての恋する人々にとっての救済であることを信仰として描いてみせます。
さすがはミュージック・ビデオ出身のマーク・ウェブ監督。
ということで、サウンドトラックも必聴!


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