2015年3月5日木曜日

灰とダイヤモンド 『幕が上がる』

『幕が上がる』(2015年/本広克行監督)
【あらすじ】
ももクロのメンバーが演劇をします。

【新たなるドリーマー映画の誕生】

映画のジャンルの一つに、「ドリーマー映画」と呼ばれるものがあると思います。……と、3秒前くらいに思い浮かんだ持論を勝手に書いているのですが、「ドリーマー映画」とは何ぞやと申しますと、直訳の通り「夢追い人」のハナシが描かれた映画のことであります。

「ドリーマー」或いは「夢追い人」とは、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』における「ドリーマー」と同等の意味でありまして、美しいモノ、面白いモノ、総じて「夢」を追い求める人々の通称名として、コレ、定義されております。

近年記憶に新しい作品ですと『風立ちぬ』や『モンスターズ・ユニバーシティ』も、ドリーマー映画の傑作だと言っても過言では無いでしょう。

さて、ももいろクローバーZさん(以下、ももクロ)主演の『幕が上がる』を鑑賞したのですが、これがドリーマー映画愛好家の私にとっては、もうアガる上がる幕が上がる、新たなドリーマー映画の誕生に喜びを隠し切れませんでした。
お世辞抜きに、傑作だと思っています。思っていますゼーット!(使い方、間違ってますか?・笑)

【モノノフでは無い目線から】

まず、前置きしておきたいことは、私はももクロのファン、通称「モノノフ」の皆さまに属されていないということです。
これは、何も自身がアンチ側であるという意味では無く、モノノフと呼称されるほどの資格を持たない、知ったかニワカ野郎であることの自己表明であります。

私のももクロに対するポジションとしましては、楽曲主義の身として、彼女たちの活動初期よりディスクを購入し、数枚のシングルと、2枚のアルバムは所有しています。
また、早見あかりさん脱退コンサートこと『中野サンプラザ大会』のDVDを観ながら、『あかりんへ贈る歌』を聴いて号泣できるレヴェルの感情は芽生えるに至りました。
コンサートだって一度も行ったことありませんし、なんでしょう、とにかくモノノフではないんですよね、ノフくらいなのかな?(これも使い方間違ってます?・笑)

つまり、何を述べたいかと言いますと、良い意味で、私はももクロへの特別な感情が皆無な状態で鑑賞した身だということです。
一人のモノノフとしてではなく、一人の映画ファンとして本作に感銘を受けたことを、改めてここに報告致します。

【アイドル映画ではなく、青春映画としての『幕が上がる』】

と、上記セクションで述べたように、本作が宿命的に背負っている「ももいろクローバーZの5人が主演の映画」という、良くも悪くもウリでありノイズである特性に関してですが、この一点で鑑賞を迷っている方がいらっしゃいましたら、次の一言を贈ります。「気にするなかれ」と。

私はこれを強く豪語したく、文章内で初めてこの言葉を使用しますけれど、要は『幕が上がる』は「アイドル映画」では断じて無い、ということです。
アイドルが主演にしてアイドル映画にあらずというのは何たることか、と疑問に思われるでしょうが、極論、本作は「青春映画」なのです。
そんでもって、何度も述べているように「ドリーマー映画」です。(コレ、定着しないですかねい?・笑)
故に、平田オリザ氏のワークショップから帰還したももクロの皆さんは、アイドルではなく「女優」として機能しているのが、青春映画として成立している最たる要因とも思えます。

付きましては、全国のアイドルファンの方々は、モノノフの皆さんが死ぬほど羨ましくて仕方ないと思います。
だって、自分の応援しているアイドルの主演映画がこのクオリティで、ちゃんとヒットも飛ばして、しかも私のように自称ファンでは無い人間をも取り込んでしまってるワケですから、そんなの至福の極みでありましょうに。
ほとんどのアイドル映画が低クオリティで失敗する中(いえ、違います!あなたが応援しているアイドルのことではありません!お願い殴らないで!い、痛い!)、ファン向けのイベント映画としてではなく、正真正銘の青春映画として勝負に出て勝っているのは、それこそ、多忙の中で平田オリザ氏のワークショップを受け続け、更に1ヵ月半の撮影スケジュールを空けて挑んだ、ももクロの皆さんによる努力の賜物なのではないでしょうか。

【アイドル性の封印】

『幕が上がる』を鑑賞して最も驚いたことは、ももクロの皆さんのアイドル性を意図的に「封印」して、そのままラストカットまで押し切ってしまったということです。

通常のアイドル映画は、被写体であるアイドルのポートレイト・ショットやサービス・ショットが多々あります。(そりゃそうです、ファンのために撮られているんだから)
ところが、『幕が上がる』は驚くほどに「ヒキ画」が多いのです。もちろん、顔のアップなど「ヨリ画」も存在しますが、前述したアイドル映画の文法におけるカット割りのバランスとは異なり、大変落ち着いて、カットが静かに進行していきます。
この静寂は、彼女たちの青春の美しさや輝きはもちろんのこと、何処となく不穏で憂鬱な雰囲気すら感じさせるのですが、それを真正面から受容して体現してみせる、ももクロという5人の才能に、素直に驚愕しました。

更に言えば、『幕が上がる』には、ほぼゼロと言っていいほど男目線が存在していません。
通常、コノ手の映画は、若手イケメン俳優が投入されてアイドルファンを激高させるものですが(笑)、本作には同世代間における異性の存在が完全に排除されているんですよね。
ムロツヨシさん演じる溝口先生というキャラクターもいますが、彼はヘナチョコの大人でしかなく、同世代の異性ではありません。
この辺は、敢えてそこに踏み切って成功してみせた『5つ数えれば君の夢』(山戸結希監督・アイドルグループ・東京女子流主演映画)という傑作もありましたが、本作には文字通りに「恋愛」のれの字は存在せず、あるのは高城れにさんのれの字だけであります。

「異性」や「恋愛」がノイズキャンセリングされた世界観の中で、等身大の「少女」を演じることが目的とされ、5人それぞれが本来の自分とは似て非なる役柄を演じるこが要求される。
そして、それを惜しげも無くこなしてしまう、ももクロという5人の少女たちの恐ろしさ。

つまり、アイドル性を封印することによって、逆にアイドル性を浮き彫りにさせてしまった、とでも賞賛するべきでしょうか。
これらはある意味で実験であり、勝負であり、賭けだったと思います。
それがちゃんと、成功してしまっているのだから。誠に、恐るべしです。

【ももいろクローバーZという5人の主演女優に関して】

5人全員が(お世辞抜きに)脱帽せざるを得ない名演を見せていらっしゃると思いますが、中でも特筆すべきなのは、百田夏菜子さんでしょう。

彼女だけは「視線」の芝居をしていたように感じられました。「何か」を見つめるとき、その「何か」以外のモノにも視線が動くのですが、その泳がし方が実に上手いです。
恐らく、平田オリザ氏の指導だと思われますが、百田さんは「視線の分散」と呼ばれる運動がかなり身についていらっしゃいます。
これは話し手の顔をじっと見つめるのではなく、敢えて視線を逸らして異なるモノに視線を送り心理状態を表す演技プランです。
百田さんは視線で、動揺も、喜びも、後悔も、優しさも、全て表現し切っていたと思います。

また、私的な想いで恐縮ですが、『幕が上がる』序盤における、普段の彼女からは想像できない(って、アタシ普段の彼女をよく知らないんですが・笑)、あの憂鬱で、ブルーで、冷め切ったくすんだ表情に、大変惹き付けられました。ああ、こんな顔もするのか、と。逆を言えば、こんな顔は見せないられないよな、ファンに対しては、とも思えてきまして。
百田さん演じるさおりは、笑顔の中で悩んでるいるのではなく、悩みの中で無理して笑ってるように見えるんですよ。
そして、この映画の中では、彼女のチャームポイントの「えくぼ」が、すこぶる痛々しく見えるんです。不安で仕方ないのに、悔しくて仕方ないのに、無理して笑っているようで。
だからこそ、葛藤し、徐々に本当の笑顔を見せ始めるさおりには感動しましたし、ファーストカットとラストカットでの彼女の表情の変化が見れただけでも、本作を鑑賞出来て良かったと感じられました。

重複しますが、他の4人の皆さんも非常に素晴らしかったです。
玉井詩織さん演じるユッコが機嫌が悪いのにスキップして去るところとか、有安杏果さん演じる中西さんが「わたし滑舌悪いし」って言っちゃうところとか、佐々木彩夏さん演じる明美ちゃんが百合っぽいところとか、高城れにさん演じるがるるがろうそくの灯を真似するところとか・・・それぞれの美点を挙げると切りがありません。

【玉井詩織さん付近での演出に関して】

百田さんに関して特筆しておいて何ですけれど、私、玉井さん関連のシーンで2つ印象的な演出がありました。

1つは、合宿中、観劇後の宿への帰り道のシーンです。部員たちは皆で仲良く並んで歩いているのですが、中西さんとのペアに不満気なユッコだけが、その群れから外れて、一人でトボトボと歩いています。それが丁度、ユッコを演じる玉井さんのイメージカラーである「黄色」の点字ブロックを境界にして、点字ブロックの左側(下手側)を部員たちが、右側(上手側)をユッコただ一人だけが歩いているのです。
このシーンは、時間にしても数十秒だったと記憶していますし、今のところ指摘されている方をお見受けしていないのですが、とにかく私はハッとさせられてしまい、なんて映画的な演出なんだと感心してしまいました。

もう1つは、地区大会前にユッコと中西さんが、屋上で小道具の塗装をするシーンです。ここで注目していただきたいのが、両者が手に持つペンキの色です。ユッコが「緑」のペンキを、中西さんが「黄色」のペンキを手に塗装をしています。モノノフの皆さんならば既にお気付きでしょが、実はそれぞれが相手のイメージカラーのペンキを手にしているワケです。中々うまく打ち解けなかった二人の距離が初めて近付くシーンですが、このような色による視覚的な「和解」が描かれていることに、ああ、これはちゃんと映画じゃないか、と改めて納得させられました。
もちろん、真に巧みな演出はこうして意識させないものではありますが、『幕が上がる』は、このような映画的な文法によって構築されていることも、非常に重要な作品だと思います。

余談ですが、ゆかりとユッコが共にシングルベッドで寝るシーンがありまして。
重ね重ね申し上げますが、アタシゃモノノフではありませんで、それでも、実は「ももたまい」という百田さんと玉井さんのオリジナル・ユニットは承知しておりまして。そう、このシチュエーションは、まさに名曲『シングルベッドはせまいのです』そのままじゃないかッ!!!!!
と、ビックリし過ぎて5人分のエクスクラメーションマークを付けてしまった程です。
あ、あと玉井さんがね、自転車に乗りながら「腹減ったー!」って叫ぶシーンがあるんですよ。おい、ソレ普段の玉井さんやないかい!と言うね。あれ、いいですよね(笑)

【個人的な本広監督への弁明】

これは一人の映画ファンとして述べますが、何がビックリって、やっぱり『幕が上がる』の監督が本広克行さんだってことだと思うんですよ(笑)
だって、あの『踊る』シリーズとか『少林少女』とか『曲がれスプーン』とか、テロみたいな映画を次々と投下していった人じゃないですか。(問題発言)
いや、ホントすいません。これdisじゃないんですよ。私なりに勇気を出して書いたつもりなので、お、お願いだから、許して下さい、日本テレビ様(笑)
当然、これは作品そのものへの評価であり、本広監督本人に対する人格の否定などは一切ありません。
要するに、本広監督に関しては、私の独断と偏見によって、全く擁護できない監督としてのレッテルを貼っておりました。
しかし、今回の『幕が上がる』の制作で、汚名返上と言いますか(謎の上から目線)、毎度毎度ボロカス文句を垂れてしまい申し訳ございませんでした、と謝罪したい所存です。
真に、本広監督の熱意は伝わりましたし、最高傑作だと思います。
もちろん、引き続き上記の3本は大嫌いですが(笑)、もし本広監督に対する少々の不安から迷っていらっしゃる方がおりましたら、またまた一言。「気にするなかれ」と。

【切符を手にした夢追い人と、夢追わせ人】

ところで、私が『幕が上がる』のもう一人の主人公として推したいのが、黒木華さん演じる吉岡先生です。

これ、彼女のベストアクトじゃないでしょうか。いや、大真面目に。
私、黒木さんとは一度直接お会いしたことがあるのですが、もうとてつもなく繊細で端整な顔つきでいらっしゃって、これ、超褒め言葉として言いますけれど、素晴らしく派手さの無い女優さんだと思うんですよね。いや、本当に褒めていてですね(笑)、地味だと言ってるワケじゃないんです。
だからこそ、『幕が上がる』における「肖像画」のシーンは、そのギャップに「この人、実はすごい人だったんだ・・・」と心酔するじゃないですか。あれは黒木さんみたいな女優じゃないと出来ません。

故に、本作を「ドリーマー映画」として成立させているのは、さゆりという「夢追い人」と、この吉岡先生という「夢追わせ人」の関係性にあると思われます。

劇中、志賀廣太郎さん扮する滝田先生による『銀河鉄道の夜』の授業が行われます。そこで彼は「光の速度で膨張する宇宙の中で、孤独や不安にくしゃみをするのではなく、それを自覚しつつも切符を手に持ち続け、宇宙の果てに向かい続けることの大切さ」を語ります。
これは、マンマこの映画の主題とも捉えることが出来る内容ですし、恐らく原作者である平田オリザ氏による『銀河鉄道の夜』の解釈かと考えられるのですが、この思想を象徴する存在こそが、他でもありません、吉岡先生なのです。

この映画が最終的に示すのは、誰もが「夢追い人」であり、また誰もが「夢追わせ人」であるという、芸術家にとっての「美しい業(カルマ)」の存在です。
夢を追うことはある意味で呪いであり、罪でもあり、その先には罰が待っているのかもしれません。もしかすると、その夢は達成されないのかもしれません。
それでも、切符を持ち続け、走り続けること、夢を追いかけることは美しい行為であると、芸術は教えてくれるはずです。
ももいろクローバーZというアイドルグループが、過酷な下積み時代を乗り越えて、目標であった紅白出場を成し遂げ、今こうして5人が主演する映画が完成したように。

まだ何も始まってすらいなかった夢追い人たちが駆け出した瞬間。ももクロの名曲『走れ!』が流れるのは、夢を追うことを後押しする、ドリーマーたちへの賛歌の曲として聞こえるからではないでしょうか。

映画が黒木華の作品へと化そうとした瞬間、かろうじて5人の物語として落ち着かせた手腕も見事でして、ドリーマー映画としてのカタルシス、浸るほどに味わえました。
そう、幕上げのカタルシス。
一度でも幕上げをしたことのある、もしくは幕上げを見たことのある人間には、それが「夢追い人」の理由となります。
逆を言えば、まだ一度も「幕」を上げたことの無い、或いは、自分は一生「幕」を上げないだろうと思っている、そういう人々のために、この映画はあるのだと思います。

【あなたは何で「夢」を追いかけるの?】

劇中、さおりが吉岡先生に「あなたはなんで演劇をやってるの?」と問われるシーンがあります。
さおりは、困った子どものような顔をして、言葉に詰まらせてしまいます。
そう、答えられません。
これはメタ的に見れば、ももいろクローバーZの百田夏菜子さん自身が「あなたはなんでアイドルやってるの?」と問われている構図とも読めます。

―さて、夢追い人の、ドリーマーの皆さん。
あなたには何と聞こえるでしょうか?
なんで映画やってるの? なんで音楽やってるの? なんで漫画やってるの? なんでお笑いやってるの? なんで、なんで、なんで。

あなたは答えられますか?
自分が好きなものを好きであることの証明、或いは、好きなものを好きでいられなくなっていることの嘆きを。
少なくとも、『幕が上がる』のさおりは、ラストでその答えに気付きます。

次に答える番は、そこのあなたです。
「あなたは何で、夢を追いかけるの?」
ももいろクローバーZは、もう既に、答えています。

『幕が上がる』は、夢追い人たちが人生の岐路に立たされた時、
幕を上げるか、上げないか、
そこで「幕を上げる」ことを選択した人間たちの物語です。


【灰とダイヤモンド】

最後に、約7000字にも及ぶ、この駄文・長文の文章に、ももいろクローバーZさんのある楽曲で幕を下ろしたく思います。

『灰とダイヤモンド』

これは、彼女たちが2013年に発表したセカンドアルバム『5TH DIMENSION』のラスト13曲目に収録された曲です。
作詞は後に『GOUNN』も手掛ける只野菜摘氏、作曲は久々の楽曲提供となる、ヒャダインこと前山田健一氏。
ももクロというアイドルグループが辿ってきた道のり、そしてこれから歩んでいくであろう未来、それらに想いを馳せながら、彼女たちの挑戦、失敗、成長を賛美した名曲だと思っています。

新宿バルト9、『幕が上がる』初日上映の帰り道、ふとこの曲が聴きたくなり、iPodを操作しました。

それはまるで、『幕が上がる』が掲げていた「切符を手にした者は前進するしかない」という主題そのものでもあり、同時に、アイドルというカルマの中で、人として、アーティストとして、常に新しい自分をアップデートしながら輝くこと、夢を追うことの素晴らしさを謳った曲でもありました。

『幕が上がる』のラスト、さおりは灰の中でダイヤモンドを見つけることが出来たのでしょうか。
いや、もしかすると、まだ灰まみれの世界に立っただけなのかもしれません。
それでも、彼女は「灰の中にダイヤモンドがある」ということを信じることが出来ました。
いつか必ず、ダイヤモンドを見つけるために。
彼女たちの夢を追いかける旅は、まだ始まったばかりです。

世界中、いや銀河中で私だけで構いませんが、『灰とダイヤモンド』こそ真に『幕が上がる』の主題歌としてふさわしい一曲であると、誠に勝手ながら提言させていただきまして、ここに幕を下ろしたく思います。


過去よりも高く翔ぶために
助走つけるために
何度も うまれかわってる
閃光(ヒカリ) 夜明け 輪廻 
灰のなかのダイヤモンド
本物以外さがせない
生命(いのち)燃やしつくすため
一緒に今を生きていく 
―ももいろクローバーZ 『灰とダイヤモンド』 


余計なお世話だバカヤロウな追伸1
やっぱり、カメオ出演でも宜しかったので、早見あかりさんとも共演してほしかったですね。先輩役とか、他校の演劇部員とかで良かったので、ちょち彼女とももクロさんの絡みが見たかったなぁ、という無い物ねだりです。

余計なお世話だバカヤロウな追伸2
「5人のメンバーの中で誰推しですか?」なんて質問をよく受けます。ことほど左様に、私はホントにももクロに関して明るくないので回答し兼ねるのですが、敢えて言いますけどね・・・いや、文中のバイブスから既にお察しされてる方もいらっしゃると思いますけれど(笑) ・・・あの、黄色の、玉井詩織さん、しおりん、ですよね? 玉井さん、彼女に目が行くことが多いと言うか・・・いや、仕方ないですよ、アタシ兄貴分なもので、ちょっぴり泣き虫で甘えん坊で食いしん坊で手足の長いショートカットの方に否応なく惹かれてしまうんですよ・・・なんて言うんですか、タマノフって言うんですか?(笑) いや、なんでもない。なんでもないです! 本当は、本当は早見あかりさんが好きです!(笑)


【全記事一覧はコチラ
【Twitter ID : @Griko_Hasuichi

0 件のコメント:

コメントを投稿